子ども達の好奇心

小学生に学校へ車いすバスケの体験をしていただいた。

戸惑いながらも、競技用の「車いす」に乗車して少しだけでも慣れていけば、好奇心が笑顔であらわれる。
この瞬間がたまらない。

誰もが幼少期に味わう「好奇心」
大人になるにつれて薄れてきている気がする。
そんな気すら感じない大人もいる。

車いすに乗っているヒトが可哀想なのではない。
「好奇心」を諦めるコトが可哀想なんだ。
常識や当たり前、制約と制限で覆いつくされた現実に、流されるように時間が進む。

小学生の今、思い描く未来がもしあるなら、貪欲に進んでいってもらいたい。
もし、思い描く未来がないとしたら、
好きな教科、
好きな職業、
好きな音楽、
好きな大人に対して、好奇心を増やせばいい。


だいたいのヒトは、障害者に差別もなく生きている。
自分とは関係ないヒトと無意識に感じながら。

今日の小学生がいつか車いすの障害者を見た時に、「バスケ上手いかな?」そう思ってくれるだけで、体験してもらった甲斐がある。

他者から与えられた常識を超え、
自分が体験した判断材料でヒトを観察することは、
差別的な要素だけではないはずだ。